プロフィール

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えむへい
えむへい

こんにちは。
元高校教師の「えむへい」と言います。

プロフィールページにお越しいただきありがとうございます。

はじめに簡単な自己紹介をします。

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えむへいのプロフィール

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・1970年代に東北の田舎で生まれる。
・情熱的なさそり座。変わり者のAB型。
・大学では教育学や心理学を学ぶ。
・大学卒業後すぐに教師人生がスタートする。
・20年近い教師生活を終え、今新たな生き方を模索中。

簡単な自己紹介は上記の通りですが、結構山あり谷ありで恥の多い人生も送っており・・・

もう少しだけ詳しめな自己紹介を付け足してみます。

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【失敗ばかり…】もう少し詳しいプロフィール

・小学校で何度か不登校になる。
・中学校でもよく休む。
・中学校時代、合計4人の女子に告白して全部振られるという記録を作る。
・高校でもよく休む。
・センター試験前日に当時付き合っていた彼女に振られる。
・大学受験に失敗し続け、2年の浪人生活を送る。
・2浪目の1年間は友人が一人もできない。
・教師となってからすぐに結婚して父親にもなったが、のち離婚。
裁判所に何度も足を運ぶ出来事が起こる。
・とても大事な親友が亡くなる。(これは失敗ではなくて私の中の悲しい出来事ですね)
・社会人になってからも体の不調が続き、たびたび学校を休む。
適応障害とかうつ病などと診断されてしまい、その後学校を退職。

とまあ、要するに、これまでずーっといろんな人たちに迷惑やら心配やらかけてきた、典型的なダメダメ人間です。

でもこんな自分でも、これまでの経験が誰かのために役立つのではないかと思い、当ブログを立ち上げました。

このブログでは、

①自身の経験や、教師として生徒や保護者の対応をしてきて感じた不登校関係の情報
②学校現場での体験談や教育関係の情報
③部活動指導の経験を生かしたトレーニング関係の情報
④心理カウンセラーの資格と、これまでのちょっと苦い体験を生かした恋愛関係の話題
⑤悲しい独身男による料理レシピ

などを発信していきたいと思っています。
(※当面は①~③の不登校や学校関連のことについて記事を書いていく予定です。)

少しでも誰かの役に立つ情報を発信していけたら幸いです。

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えむへいの人生をざっくりストーリー形式で紹介

ここからは本当に時間を持て余してしまっている人向けと言いますか、少しでも私に興味を持ってくださったレアな存在(でもとても嬉しいです!)の方々向けに、もう少し自分自身のことを書いてみたいと思います。

長々とかなり自分語りっぽくなっているかもしれません・・・

とにかく休みがちな子どもだった小中高時代【不登校】

小学校時代

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まー、とにかく休んでました、学校。

小学校低学年の時は休み過ぎて、わざわざ担任の先生がクラスメート全員を引き連れて私を自宅まで迎えに来る、という今思えば恐ろしい体験もしました。

高学年の時には、夏休みの間に腕を骨折したことが引き金にもなって、本格的に不登校になりました。
罪悪感や自己嫌悪、周りからの説得などで、しかたなく久しぶりに気合で登校した時の朝の風景はいまだに覚えています。

後はファミコンをやったり、外で野球して遊んだりするのが楽しかった普通の小学生でした。
スポ少で野球もやってましたが、途中で辞めました。
遊びでやる野球が楽しかったんですよね。
この頃からすでに多くの逃げ癖がついている自分・・・

あと、体罰も受けました。
図工の時間に絵の具のバケツを友達数人と一緒に洗いに行ったときに、その友達の一人がバカ騒ぎをして、それを怒りに来た若い女の先生に、私も一緒に思い切りビンタされるという・・・
あんなにはっきりとした体罰はこれ一度きりです。
今だったら絶対問題になってますね。

中学校時代

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中学校では不登校とまではいきませんでしたが、それでもやっぱりたくさん学校を休んでました。

あとは柔道部に入って、部活をがんばってましたね。
下校中での買い食いがばれて、1週間部活参加禁止になったとかは良い思い出です。

勉強は中の上ぐらいでした。

あとは恋愛関係ですが、周りの友達にはやし立てられたりもして、立て続けに短期間で4、5人の女子に告白して、見事に全部振られるという経験もしました。
「好き」の概念がよくわかっていませんでしたね自分。

高校時代

高校に進学してからも、やっぱりしょっちゅう学校を休んでました。
休み過ぎて補充授業を受けたりして、何とか進級卒業した感じです。
でも、私以上にものすごく学校を休む男子と仲良くなり、彼とはいまだに友達です。

部活は最初ラグビー部に入りましたがすぐに辞め、また柔道部に入り直しました。
道具まで買っていたので、母親にはあきれられましたね。

勉強については、1年生のときに一度だけ学年1位を取りましたが、その後失速して、そのまま大学受験も失敗・・・
はじめて付き合った彼女にセンター試験前日に振られたっていうのも、大きな原因の一つだと思います。
お豆腐メンタルです。
そのあと数年引きずりました。

休む理由が自分でよくわからない

まあとにかく小中高の12年間、基本的に休みまくりの自分でしたが、私の学校を休む理由は特にありませんでした。

誰かにいじめられたということもないし、何か嫌なことがあったわけでもないです。
ただ「何となく」学校に行くのがだるいだけという・・・
学校に行けば行ったでちゃんと楽しいんですけどね、なぜか行くのがだるい・・・

自分のこの不登校の原因がなんなのかがわかってきたのは結構最近になってからです。
その原因は「HSP」「過剰同調性」だと私は思っています。
これらについては他の記事に書いていますので、もしよければ読んでみてください。

急に変な行動力を発揮して家を出た2年の浪人時代【親や親戚に感謝】

大学受験に落ちて、でも大学には行きたくて・・・となったときに、自分に甘い私が果たして地元に残ったまま勉強に専念できるかということを疑問に感じ、親に頼み込んで県外の予備校の寮に行かせてもらいました。

で、結局そこでできた友達と遊びほうけてしまい、ここでも大学に落ちるという・・・

どこにも受からなかったので、さすがに専門学校とかを考えてましたが、そこで救世主が登場しました。

設備会社を経営している、会ったこともない関西在住の親戚のおじです。

そこの事務所に寝泊まりさせてもらって、簡単な手伝いさえすれば家賃も無しで、予備校代も貸してくれるっていうので、勇気をふりしぼって東北の田舎者が関西の都会に行きました。気合の入った革靴なんかを履いて。

そしたら行った初日にいきなり、「ちょっと今日遠くから来たばかりであれなんやけど、少しだけ手伝ってくれや」と言われて、付いていった先が新築中のマンションの駐車場建設中エリア。

そこでいきなり、やったこともないセメント作りをやらされ、せっかくの革靴も汚れ、初日ですでに家に帰りたいと涙を流した19歳の春が懐かしいです。

この頃のことをネタにして教師時代に書いた「図書だより原稿」を見つけたので、下記に貼っておきます。

図書だより画像

図書だよりPDF

PDFファイルにしていますが、読みづらいかもです。まあ雰囲気だけでも。
久々に読み返しましたが、偉そうなこと言ってますね自分。

それから、この一年はマジで一人も友達ができませんでした。

日中はおじに付いて回ってアルバイトをし、夕方から現役生に交じって作業服を着たままで予備校の授業を受けていたので、さすがに周りからは浮いていました。

受験シーズンになるとアルバイトも免除してくれていたので、気づいたら1ヶ月くらい、誰とも言葉を交わさず、声を発するといえば、近くの弁当屋でよく注文していた「唐揚げデラックス一つください」という言葉だけのときもありました。
自分のコミュニケーション能力の低さをまざまざと感じた1年でした。

そして何とかさすがに大学には合格しました。第一志望ではなかったですが。

この年は学校を休むとかあまりなかったですね。
予備校の授業料がリアルに自分でわかるというのと、そもそもさすがに尻に火がついていたんだと思います、きっと。

いろいろ楽しかった大学時代

再び休みがちになった(こればっかり言ってますね私)大学時代でしたが、教授からの叱咤もあまり厳しくはなかったので、自分に甘く過ごしていた学生時代です。

「正」の字を書いて、あと何回休んだら単位アウトとか計算しながら、なるべくフルに休んでた不真面目学生です。

あとは見出しの通りです。

夜通し麻雀に明け暮れたり、本州縦断のドライブ旅行をしたり、女子とも少しだけ仲良くなったり・・・。家庭教師のアルバイトはがんばっていました。

大学はとにかく友人に恵まれました。
浪人しているので周りは年下だらけでしたが、狭く濃く付き合える友人ができたのが嬉しかったです。

遂に憧れていた「学校の先生」になる!そして結婚!すぐ父親に!【充実】

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そしていよいよ教師デビューです。

見出しにはそう書いていますが、ここまでの自分を振り返った記事を書いてきて改めて、「自分先生になっちゃだめでしょ」って思いますね・・・
憧れんなそんな立場でっていう感じですよね。

でも奇跡的に採用枠の空きが出たりもして、教師になることができました。

このあたりになってくると、自分自身のことだけでなく、教師時代の生徒や保護者、先生方、あとは家族のことにも話が及んでしまうので、あまり詳しくは書けないのですが、まあ人並みにいろいろありました。

仕事に関しては、「社会人になった俺ってかっこいい」と勘違いして無心でがんばっていたように感じます。
でも今思えば勘違いも必要なのかもしれませんね。若さでがんばっていました。

でも、たまに休んでたりしたのは学生時代と変わりません。

プライベートではタイトルの通りです。
人生のいろいろな経験をしました。家も建てたし、本当に充実していた時期でした。

なんか違うと感じ始めた教師人生後半・・・ほかにも悲劇が次々と・・・【年中疲労】

このあたりになってくると、ほんと書けないことが多くなり、せっかくここまで読んでいただいているのに申し訳ないのですが、自分的にはほんとにきつい時代でした。

仕事では相変わらず休みがちで、体調不良が続くことが増えました。
さらに、あんなに憧れていた教師の仕事自体にも魅力を感じなくなっていました。
そのあと適応障害にもなり、13年勤めた学校を退職しました。

でも、辞めてしばらくしてから、短期間だけやった引越しのアルバイトによって、奇跡的にまた復活しました。
やっぱり体を動かすと心にも良い影響を与えますね。

そして、もう一度リベンジだ!という思いで、別の学校でまた教員をがんばっていましたが、後に今度はうつ病と診断されてしまい、結局6年勤めたあと再び退職しました。

夢だった柔道部の顧問にもなることができたし、環境が変わっていろいろ楽しかったことも多かったんですけどね。
若い先生方と夜遅くまで学校に残って、文化祭のときに生徒たちに見せるももクロのダンス練習をしたりとか。

でもやっぱりいろいろ大変で忙しいのは事実で、結局、心と体が付いていきませんでした。

またこの頃、高校に入学した子どもが不登校になりました。

家庭環境が複雑だったにもかかわらず、小学校や中学校では特に問題もなく、まっすぐに育ってきた子どもが、急に高校に入ってすぐに不登校に陥ってしまいました。

後に離婚することになるので、今思えば夫婦仲も影響していたのかもしれません。

ほかにも、幼なじみだった大切な友人を亡くしたり、裁判所に足繁く通わなければならないことがあるなど、完全にキャパオーバーで疲弊しきっていました。

そして現在【自分が楽しくなればきっと周りも楽しいはず】

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教師の仕事はとてもやりがいのある尊い仕事だと思っています。
いまだに本当に辞めて良かったのかという迷いもあります。

でも、自分にとってこの第2、第3の人生を生きていく中で、「これからはまずはもっと自分自身が楽しく生きよう。そうすれば、より多くの人のことを笑顔にできるのではないか」という思いで、今はこれからの自分の生き方を模索中です。

(2020.07.03追記)
現在は以下の活動を行うようになりました。
①SNS等を使って教育関係の情報を発信
ブログ(当ブログ)
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②家庭教師や対面・電話による不登校相談
・料金や時間など詳しくはお問い合わせからどうぞお気軽にご相談ください。メールでの不登校相談は無料で行っております。(なるべく早い返信を心掛けております…)
③WEBライターやTwitter運営代行
・教育系だけでなく心理系や恋愛系などにも対応しています。こちらもご依頼がありましたらお問い合わせにて承っております。

ごあいさつ

最後まで読んでくださった方がもしいれば、本当にどうもありがとうございました!

上記以外の内容でも何かありましたらどうぞお気軽にご相談いただければと思っています。

これからもどうぞよろしくお願いいたします!

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